96/01/17

あの日のこと


 いったい何が起きたのか解らないほどの激しい揺れを感じて、とりあえず布団をかぶってじっとしていた。どれくらい揺れが続いたのだろう、30秒か、1分か。そのうち揺れもおさまった。まだ暗い。時計を探し出してみるとまだ6時前。明かりは点かない。停電しているようだ。外の信号まで停電で消えている。確かに、生まれてこの方体験したことのない激しい揺れだったが、ここまで酷いとは。ラジオを聞こうにも停電で聞けない。部屋の中は散乱したCDと本だらけ。棚の上に置いていた洗剤が散らばってしまった。くそ。仕方なく外に出てみると、寮生も殆ど目が覚めたようで、他の会社の人もうろうろしている。512号室の人と「こりゃ、シャレになりませんね」などと話す。
 6階の浅見さんの部屋に行ってみる。この人も僕と同じく普段から部屋が散らかっている人だが、かすかに残っていたその人なりの秩序と言うべきものも失われていた。「ビデオが壊れてしもーたー。」落ちたビデオの上に更にテレビが落ちてきたらしく、浅見さん嘆く。「織田君とこマックだいじょぶやったー?」「いや、僕は空いてるベッドに平においてたから、だいじょぶみたいです。」「うー。」「浅見さんどうするんですか?」「いや、何にもできへんし、とりあえず寝るわ。」「ほな、僕もそうしよ。」「おやすみー。」「休めんのかなー。」
 案の定寝られず。
 7時すぎに、姫路の実家に帰っていた三木から電話が入る。「ごっつい地震やったなー。生きてるかー?」「おう。生きとーぞー。でも停電しとんのに、よーかかってきたなー、この電話。」「おー、楠ぽんとことかかけてみたけど、誰のとこにもかかれへんねん。」「そっちはどないや?」「姫路は震度4やてゆうてたぞ。」「そーか、こっちはもっとすごかったみたいやぞ。」「うそー。」
 少し明るくなってきた。することも出来ることもないので、部屋よりは明るい廊下でタバコを吸う。信号はまだ復旧しない。これって、ただ事でない地震なんじゃ。廊下の窓から駐車場を見ると、車の中でラジオを聴いている人がぽつぽつと。そうか、その手が有ったか。ひっくり返った部屋の中から車のキーを探し出して駐車場へ。
 既に大江さんがソアラの中で桑原とラジオを聞いている。「なんか、ラジオで『阪神高速が落ちた』って言ってるで。」「うそー。」僕も車内へ。確かにラジオでは、「深江付近、中突堤付近、湾岸線などでで阪神高速が落下した」と言っている。俄には信じられなかったが、どうやら本当らしい。部屋にいても暖房も効かないし、車の中にしばらくいる。
 「会社はどうなっただろう。」悲しき会社員、やはり気になる。「どうせすることないし、会社の様子見てきますわ。」と大江さん達に言い残して、部屋に戻って着替えて、8時すぎぐらいに会社に行く。
 途中の道が波打っていたりして驚く。会社に行ってみると、外壁が剥がれ落ちていたり、基礎の部分が波打っていたり、ガラスが割れていたりする。他の会社の人達も20人ほど来ている。中に入ると、メインの階段部分はシャッターが下りている。「こちらからは行かない方がいいですよ。」と誰かに言われ、裏の階段を使って4階へ。階段の途中も、壁にひびが入っていたり、手摺りが壊れたりしていた。
 フロアの裏の入口はガラスが割れていた。SONETの架は好き勝手な方向を向き、消火栓のボックスのふたが開いて中からホースが飛び出ていた。僕よりも前に安藤さんが来ていて、半ば茫然としている様子。いつもの悪質な冗談を言い合う余裕もなし。デスクの引き出しという引き出しは全て全開。書類が飛び出し、98はディスプレイに引っ張られ、かなり落ちていた。ディスプレイのコネクタがお釈迦になったやつも多いだろう。時計も落ちている。5時46、7分を指して止まっている。「安藤さん、家は大丈夫でしたか?」「テレビが落ちてきて、嫁を直撃しそうになった。」「大丈夫でしたか?」「命は。」
 そのうち、土江さんが来る。ラジオ持参。さすが、用意がいい。「阪神高速落下」「長田で火災発生」などと、ろくでもないニュースばかり。死者が数十人出たそうだ。なんてことだ。
 10時ごろに実家に電話をかけ、無事を知らせる。1階の公衆電話は生きていた。
 加古川の大西さんや三木市の羽柴さんなども来はじめる。加古川や三木は大した被害はないそうだ。
 社員への電話連絡始まる。極めてかかりにくい。安否不明者多し。火災が起きているらしい長田に住んでいる人が多いので、不安である。
 7階はフロアが水浸しだそうだ。消火栓が壊れたらしい。
 そのうち電気が通じる。401会議室でみんなでテレビを見る。阪神高速はボロボロだ。この目で見るまでは信じられなかった。つい1週間前に通ったばかりの道だ。最近はあまり三宮で買い物することがなく、心斎橋まで出ることが多かったのに、なぜあの時は三宮で買い物をしようと思ったのか。とにかく酷いことになったものだ。
 長田は火の海。三宮付近でも火災が発生している。発表がある度に、負傷者は100人、死者も数十人のオーダーで増えて行く。学生時代に世話になった、六甲や御影の人達は無事なんだろうか。発表された死者・負傷者の中には知った名前はないが、不安でたまらない。
 サンテレビの情報が一番役に立つ。命からがら局にたどり着いた局員の人達を、次から次へとスタジオに引っ張り出し、来るまでの様子をリポートさせている。こんなときにはいわゆる「客観的報道」など、高みの見物に過ぎず、まったく役に立たない。メジャーなテレビ局ども、ふざけんな、くそ。
 こんなことをしている間にもたびたび余震が来る。その度にびくびくしている。惨めだ。
 ローソンからは食べ物・飲み物は殆どなくなる。物資が輸送できないのと、みんなが先を争って買ったからだろう。ローソンの前の行列なんて初めて見た。ダイエーは閉まっている。店員が出勤できないのだろう。
 5時前に寮に帰る。当然、食事は用意できないらしい。水が出ないのがつらい。カップラーメンも作れない。菓子を喰って腹を満たす。惨めな気分に拍車がかかる。部屋を片づける気も起こらない。電気は通じているので、テレビは見ることができる。深夜まで地震とその被害情報のチェック。そのうち疲れて、びくびくしながら寝る。


 一年前の1月17日のことを思い出しながら書いてみた。
 当時、僕は神戸市西区の西神中央というところの会社の独身寮に住んでいた。会社は寮から歩いて10分かからないところにある。
 完全に記憶に頼っているので、ところどころ不正確かもしれないが、この日の僕の周囲の状況は大まかにはこんなところだったはずだ。

 これを読んでくれた人、お願いです。こんなことがあったことを忘れないで下さい。


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