96/06/12

ケリ?


 もう大分前の話(元ネタはスタジオヴォイスだっけか)なので、話題的に鮮度落ちまくりかも知れんですけど、まだちと俺的にこだわっていたら、こーゆー(←この表記自体が80年代的?)文章に行き当たったので引用しておきます。

 (日本的文脈においてカミーユ・パリアのようなアンチフェミニズム的言説を弄する危険性を指摘して)
 同じ危うさはデコンストラクション(あるいはニューアカ)についても言える。歴史忘却的であることがポップと同義になっているこの社会では、ついこの間まで夢中になっていたものを放り棄ててけなしてみせることが、”先端的”で”前衛的”であるかのような誤解がつねに生まれていく。ロックにおけるパンク、ニューウェーヴや、言説の次元におけるニューアカデミズムを早く忘れてしまいたい者は多いだろう(面白いことに、実はそうした手合いほど、前述の”流行”にはまって育っている場合が多い)。できるものなら「あの時、起こったこと」をなかったことにして前へ進みたいという態度は、この社会の大衆と文化人に典型的な症候である。今やその兆しは明らかに80年代文化(パンクやニューアカ)にまでおよんでいるのだ。

−上野俊哉『シチュアシオン/ポップの政治学』50ページより

 ニューアカ的言説はいまだに有効だと思っているし、80年代という時代が現在のぼくの考え方/行動/趣味のベースになっていることは間違いないと思っているし、「80年代=恥ずかしい」という風に簡単に切り捨ててシレッとしていられるほど厚顔無恥でもないので、心強い文っす。上野俊哉という人に対しては「全ての世代論は無効である」という点でも共感を覚えてます。


 いや、身につまされます、楽器に対する習熟度。サンプラーにメモリ&エフェクターボード増設してる場合じゃないぞ>おれ。曲つくらんかい。


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