97/07/07

七夕のお伽話


 むかし、むかしのお話です。

 砂漠の真ん中に、小さくて、とても豊かで美しい街がありました。
 その街に、イブンという男が暮らしておりました。
 イブンはもともとこの街の生まれではありませんでした。彼は砂漠の向こうからこの街にやってきました。街を一目見たイブンは、この美しい街をたいそう気に入りました。街の人々もイブンを快く迎え入れ、イブンはこの街に暮らし始めました。
 イブンはこの街の暮らしが大変気に入っておりました。美しい街並み、豊かな街の暮らし、穏やかで教養の高い街の人々。イブンは日々の幸せを噛みしめていました。
 彼は一生懸命働きました。働くことによって、街も豊かになり、自分の暮らしも豊かになる。街の人々も幸せになり、自分も幸せになる。そう考えていた彼は、日々働くことに大変充実しておりました。街の人々はイブンを愛しておりましたし、イブンも街の人々を愛しておりました。

 しかし、この砂漠の美しい街には、一つの掟があったのです。
 いくら豊かな街とはいえ、そこは砂漠の街。一定以上の数の人を養うことは出来ません。赤ん坊が生まれたときには、誰かが街を出て行かねばなりません。
 街の人口は、今ぎりぎりいっぱいでした。
 そこに、新しい命が誕生することになりました。
 街の代議員会が開かれ、イブンが街を出て行く者に選ばれてしまいました。
 イブンはひどくがっかりしました。それでも彼は、一度は運命を受け入れ、街を出て行くことにしたのです。それが街の掟であるし、その方が街のためになると思って。

 街を出たイブンは、しばらく城壁の周りをうろついていました。一度は運命を受け入れたはずのイブンでしたが、やはり、豊かで幸せだった街の暮らしが忘れられません。最初はおとなしく城壁の外から街の人々に話しかけたり、街を城壁の窓からのぞき込んだりしておりました。イブンを哀れに思った街の人々も、それに答えたりしていました。
 しかし、イブンは日に日におかしくなっていきました。街を追い出されたのがやはり痛手だったのでしょう。泣き喚いて手足をじたばたさせたり、いかに自分が良い市民であったかを滔々と語ったり、大声で街を罵倒し始めたり、剣で自分の身体に切りつけ、その血を城壁になすりつけて汚したりし始めました。
 こうなっては、街にとってイブンはただの厄介者でしかありません。イブンは街からもっと遠いところへと追い払われることになりました。

 イブンは砂漠をとぼとぼと歩いていきました。途中、ガラガラヘビやサソリに襲われたり、流砂に巻き込まれそうになったり、岩につまずいてケガをしたりしながらも、彼はやっと一つのオアシスにたどり着きました。
 オアシスには泉の精が住んでいました。イブンは、泉の精に話し相手になってくれるように頼みました。泉の精は快く引き受けました。泉の精の方も、話し相手が欲しかったようです。
 イブンは自分のこと、街の暮らしのことを、包み隠さず何でも泉の精に話しました。イブンは泉の精のことを本当に信頼していたので、どんなことでも話すことが出来たのです。泉の精も、いろんな事を語ってくれました。泉の精も、イブンには心を許しているようでした。

 イブンは今、昼間は砂漠をうろうろしています。もとの街に帰る方法や道筋を探しているのか、それとも別の暮らしやすい街を探しているのか。それとも、ただ死にたくなくてうろうろしているだけなのか。それはわかりません。
 そしてイブンは夜になるとオアシスに戻り、泉の精と夜毎語り合っています。

 イブンは確かに不幸な男でしょう。しかし、全く不幸なだけとは言えないかも知れません。イブンには、語るべき街の美しい思い出があり、語りかける相手がいるのですから。

 イブンには新しい「街」が見つかるでしょうか?
 イブンには新しい「暮らし」が見つかるでしょうか?
 それとも、このまま砂漠で行き倒れてしまうのでしょうか?
 それは誰にもわかりません。
 それは誰も知りません。


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